以前から谷中界隈(谷根千:谷中・根津・千駄木)の神社仏閣巡りが気になっていたので散歩しながら観光スポットにも立ち寄りカメラを持って撮り歩きする事に決めました。別日となりますが二日間で回った場所は全部で21カ所となっておりそれなりの情報量となりました
事前に自作したマップを準備していたので迷う事なく辿り着きましたが、各ポイントまでの所要時間を考量していなかったので詰めが甘かったかもしれませんが十分に楽しめました。
富士見坂:東京都荒川区西日暮里3丁目7
本来、谷中エリアの最寄駅は日暮里駅となりますが「スタート地点は隣の西日暮里駅」から歩き始めました。画像にある急坂は「関東の富士見100景」と書かれておりましたが、当日は薄曇りのためか全く富士山を確認する事は出来ませんでした。天候次第かもしれません
経王寺:東京都荒川区西日暮里3丁目2−6
石柱からまるで生えているかのような特殊の狛犬を発見しました。山門には今でも銃弾の痕が残っており「上野戦争(慶応4年1868)のときに敗走した彰義隊士をかくまった時の新政府軍攻撃による」とありました。
延命院:東京都荒川区西日暮里3丁目10−1
こちらの「シイの木/都指定天然記念物」は、樹齢600年を越えるといわれ樹高16.2m・幹回り5.5mありましたが、平成14年に幹内部の腐朽が原因で南側の大枝が崩落し安全のために現在の樹形に保っているとありました。
谷中銀座商店街:東京都台東区谷中3丁目13−1
画像にある「夕焼けだんだん」の階段を降りると突然、香ばしい匂いが漂って来ました。しかし、気になる美味しいスイーツを食べ歩きするには時間帯が早すぎたので…。お腹が空いてくるランチの時間帯や小休憩時に合わせて訪れる方がいいのかも。何処かノスタルジーを
感じる店舗が連なり、古き良き時代を思い出しました。猫に出会える有名なスポットのようですが、当日は1匹だけしか見かけませんでした。さすがに人通りの激しい場所ではなく、物静かな路地裏ならば出会える確率が高くなる?大きな木彫りの招き猫が何とも可愛い!
根津神社:東京都文京区根津1丁目28−9
先ほどの商店街から根津神社の距離は約1.0kmくらいなので徒歩で約15分、宝永3年/1706建立、本殿・幣殿・拝殿・銅燈籠・唐門・西門・透堀・楼門が重要文化財に指定されております。※日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が千駄木の地に創建したと伝えられている。
神々しく輝く黄金色の木鼻/獅子&獏は、遠くから拝見していても存在感がありました。各部分に見られる極彩色が鮮やかで、久しぶりに心の奥が騒ついたような感覚になりました。
とても不思議な石仏六基は「庚申塔※江戸時代に特に盛んになった民間信仰」と呼ばれる物で、説明によると「道の辻などに建てられたものが明治以降、道路拡幅などのために収められた」とありました。※三面の青面金剛となっており、複数の組み合わせは初めてかも。
広い境内には数多くの朱色に染まる鳥居に圧倒される「乙女稲荷神社」がありました。そして、お稲荷様も多種多様な姿が見られたので何度もシャッターボタンを押しました。
ヒマラヤ杉:東京都台東区谷中1丁目6−15
映画やドラマの撮影などにも登場する保護樹木は、真裏にある「みかどパン初代店主が植木鉢で育て現在のように大きくなった」とありました。根元のアスファルトはヒビ割れて、今もなお生きている姿には自然の息吹がひしひしと伝わってきました。特徴的な三叉路の
一角にあるので神秘的な風景にも感じましたが、悲しい事に「2019年台風の影響により太い枝が折れてしまい剪定」されてしまったので現在は姿は細くなっているとの事でした。
谷中霊園:東京都台東区谷中7丁目5−24
海外の観光客に人気が高いスポット(春の季節には桜並木の絶景あり)ですが、日本人でも新鮮味があると思いました。数ある有名人の墓がある事も知られておりますが、墓地の通路は迷宮のように入り組んだ状態だったので地図にて確認をいたしました。まずは目的である
東京都指定史跡「徳川慶喜墓/寛永寺」を探しました。アクセス方法によっては多少、遠回りになりますが管理所前からだと「矢印の順路看板」が立っているので簡単に辿り着きます。
三つ葉葵が付いた扉は閉まっているので立ち入る事は出来ませんが、格子の隙間から拝見する事は可能になります。※間口3.6m・奥行き4.9mの切石土留を囲らした土壇の中央奥に径1.7m・高さ0.72mの玉石畳の基壇を築き、その上には葺石円墳状を成しています。
浄名院:東京都台東区上野桜木2丁目6
上野公園をゴールとして、そのまま南下し都道319号線沿いに歩き「八万四千体地蔵」を見に向かいました。おびただしい数々の石造地蔵菩薩像は綺麗に並び壁の一面までにも広がっていました。※旧8月15日のへちま供養には、せき/ぜんそくに効果を願う人々で賑わうとあり
お地蔵様の脇侍にはおそらく「矜羯羅童子と制吒迦童子」が配されておりましたが多くは不動明王とのセットなので…。時間は掛かったものの、思ったよりも撮れ高が少なかったので後日「別ルート」にて再訪問する事になりました。続きは下記の内容からとなっております
淨光寺:東京都荒川区西日暮里3丁目4
今回も西日暮里駅からとなっており今度はひたすら南下するルートとなっております。こちらの青面金剛像は滅多に出会えないと感じている「8臂」となっており、右手には羂索・左手には数珠を持っており額の中心には「第3の目」がありました。※正徳三(1713年)
こちらは区指定有形文化財彫刻の「銅造地蔵菩薩坐像」になります。江戸の鋳物師「西村和泉守」作、 本体は文化六(1809年)造立、台座には文化十年の銘があり鋳造年代が異なる
養福寺:東京都荒川区西日暮里3丁目3−8
仁王門は宝永年間(1704〜1711年)の建築と伝えられ、裏側には四天王のうち「広目天・多聞天の像が安置されている」とありました。門の裏手を拝見するのを忘れてしまった…。
境内には石で造られた「巾着袋」があり、関係する事柄と言えば「歓喜天」ですが、その円柱上部にあるのは聖観音菩薩?らしき姿がありました。今だに何なのか分からないままです
こちらの庚申塔下部には「頬杖の邪鬼×2と両脇には二童子?」+三猿の見事な造形となっておりました。立ち姿では無くしゃがんでいる童子に対して表情はとても怖く、邪鬼×4パターンなのかもしれません?それとも四夜叉を踏みつけているのか中途半端な知識で申し訳ない
観音寺:東京都台東区谷中5丁目8−28
案内看板には「赤穂浪士ゆかりの寺」とあり、吉良邸討入りは忠臣蔵の題材として広く世に知られている。四十七士に名を連ねる近藤勘六行重と奥田貞右衛門行高は当寺で
修行していた文良(のちの朝山大和尚)の兄と弟であった。〜寺内では、しばしば彼らの会合が開かれたという」と書かれていました。※本堂右側に四十七士慰霊塔。
先ほどの穏やかな表情の如意輪観音菩薩には戒名の「〜信女」と刻まれておりました。足元には気になる「ひょうたん型の石像」があり、おそらく上の部分が破損したものと思われます。表面には達筆な文字を確認出来ましたが、何が書かれているのか…。
長安寺:東京都台東区谷中5丁目2−22
開基は寛文九(1669年)とされ、境内には静かに佇む羅漢像がありました。※狩野芳崖墓(明治初期の日本画家)と、台東区有形文化財の板碑(鎌倉時代3基・室町時代1基)があり
天王寺:東京都台東区谷中7丁目14−8
入口付近には地蔵堂があり護国山天王寺は室町時代(応永1394〜1427年)頃の創建とありました。江戸時代には「富くじ/現在の宝くじ」興行が開催され、目黒の滝泉寺・湯島天神の富とともに、江戸三富と呼ばれ有名だったとあります。
天王寺大仏(銅造釈迦如来坐像/体得有形文化財)は、製作年代は元禄三(1690年)鋳工は神田鍋町に住む大田久右衛門とありました。そこまでの巨大な大仏様ではありませんでした
六面の石幢には六地蔵(大正十二/1923年)があり、比較的新しい年代でも造られていること知りました。※大半は江戸時代。境内には この他にも複数の石仏が配されておりました。
安立院:東京都台東区谷中7丁目10−4
躍動感がある「イノシシ」の背に乗り、装飾の華やかな鎧を身につけている「将軍地蔵」になります。戦いをイメージする地蔵菩薩の姿は何とも斬新なイメージとなりました。下側の両脇に明王が2人、線画で描かれていましたがボンヤリとかすれて写っているだけでした。
観智院:東京都台東区谷中5丁目2−4
六地蔵の他に上半身だけが台座の上に乗っている風変りなお地蔵様になります。最初からこのような姿では無く、壊れてしまって現在に至ったと考えるのが妥当だと思いました。
全生庵:東京都台東区谷中5丁目4−7
案内板には「三遊亭 円朝 墓」とあり、〜書画古美術品に対する鑑識眼は極めて高く、毎年円朝忌を中心に円朝の収集した幽霊画が公開されているとあり。※明治33年の62歳で死去。
さらに「山岡 鉄舟 墓」幕末の動乱の中で東征軍の東下に対して、駿府で西郷隆盛と会見し勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた。
そして「弘田 龍太郎 墓」春よ来い・叱られてなどの作曲家、中山晋平らとともに多くの童話を作曲。くつが鳴る/雀の学校/雨/鯉のぼり/お山のお猿など。
西光寺:東京都台東区谷中6丁目2−20
橙色の看板には、韋駄天「四天王(南方増長天)に従う八将の一神で湿婆神の子と伝えられ、走力に優れ速やかに邪神を追い払うことから仏法(特に伽藍)の守護神」とあり、十一面観音菩薩、人々の持っている心の問題に対して11ある顔の中から一番最適な顔で
持って人の心に語りかけ人々を導いてくれる。とありました。こちらの2基の石仏はとても大きく2m以上はあるかと思います。丸彫りタイプもほとんど出会う事がないので嬉しいかも
さらに閻魔様は一般的に坐像となっておりますが、こちらは「立像」だったので珍しい造形だと言わざるを得ませんでした。今回の散策では様々な種類を発見する事となりました。
長久院:東京都台東区谷中6丁目2−16
笑いえんまと呼ばれているこちらは「六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像/享保十一(1726年)」になります。左右には「司命・司録」像を配置、六十六部聖とは「法華経」を六十六部書写し、全国六十六箇所の霊場に一部ずつ奉納した聖の事とありました。
大法山一乗寺:東京都台東区谷中1丁目6−1
両手には魚の入った籠を持つ「魚籃観音」になります。全体を一目見ただけでは聖観音だと思ってしまう所だったので場合によっては持物も確認しましょう。この他に東京都指定旧跡「太田錦城 墓」とあり、江戸時代中期の儒学者、著書に九経談・春草堂詩集・鳳鳴集など。
妙泉寺:東京都台東区谷中1丁目5 1丁目
石碑には「貧乏が去る像」とあり、貧乏神をこらしめる猿は、一説によれは四天王の一人毘沙門天の化身とも言われています。毘沙門天は、仏法を良く聞いた事から多聞天とも呼ばれ福徳の天女、吉祥天を妃とした神様、仏像の毘沙門天では貧乏神を踏みつけている事が有名
長昌山大雄寺:東京都台東区谷中6丁目1−26
こちらは「高橋泥舟 墓」とあり、幕末期の幕臣・槍術家・通称謙三郎、剣術の名人として世に称賛さて20歳で幕府講武所教授、25歳の時に同師範役。谷中エリアの寺院と霊園では「著名人のお墓」が数多くあり、詳しく説明が書かれた看板も設置されているので実に奥が深い
歴史を学べる観光スポットだと思いました。しかし、千駄木方面および根津方面はほとんど向かう事なく終わってしまったので心残りとなっておりますが、範囲としては狭いもののノープランでは無駄足となってしまいそうなので情報集めからとなりそうですかね〜。